ベトナムでは、2025年12月10日に第15期国会で可決された人工知能法(第134/2025/QH15号、以下「AI法」)が2026年3月1日に施行されました。これに先立ち、科学技術省は2026年2月にAI法の細則を定める政令案(以下「本政令案」)を公表しました。
しかし政令案の条文は範囲が広く、「自社のAIシステムは規制対象になるのか」「届出は必要か」「事故が起きた場合に何を報告するのか」といった疑問を抱える進出日系企業のご担当者様は少なくありません。
本記事では、人工知能システム(以下「AIシステム」)の3段階リスク分類、政令案で義務化される4つの実務ポイント、そしてTMIコンサルティングの観点から日系企業が今着手すべき準備までを順に解説します。
「AIシステム(Hệ thống trí tuệ nhân tạo)」の定義(AI法第3条第2項):
2. AIシステムとは、様々な自律性をもって人工知能機能を実行するように設計された機械ベースのシステムであり、展開後に自己適応する能力を持ち、明確に定義された、または暗黙的に形成された目標に基づいて、入力データから推論を行い、物理的またはデジタル環境に影響を与える可能性のある予測、コンテンツ、推奨事項、または決定などの出力を生成するものをいう。
ベトナムAI法と政令案の位置づけ

ベトナムのAI規制は、AI法を基礎とします。同法は2026年3月1日から施行されており、AIシステムの「利用者」保護を目的として、「供給者」「実装者」に対する規制の枠組みを定めています。
- 供給者(自社・第三者のいずれがシステムを開発したかを問わず、AIシステムを自社の名称・ブランド・商標の下で市場に投入または使用に供する組織・個人)[AI法3条4項Nhà cung cấpの定義]
- 実装者(個人的または非商業的な目的での使用を除き、自らの管理下にあるAIシステムを専門的、商業的、またはサービス提供活動で使用する組織または個人)[AI法3条5項Bên triển khai の定義]
- 利用者(AIシステムと直接やり取りする組織および個人、またはそれらのシステムの出力を利用する組織および個人)[AI法3条6項Người sử dụngの定義]
AI法はリスクベースの規制の骨格を示し、これに基づき、政令では、リスク分類の判定基準、通知手続き、ラベル表示方法、事故報告のタイムラインなど、実務に直結する具体的な基準や義務が定められています。
科学技術省は2026年2月、現行AI法の条項を詳細に規定する本政令案を公表し、パブリックコメントを経て2026年内に正式に制定される見込みです。
進出企業にとっての重要なポイントは、政令の正式な制定を待つのではなく、現時点で公表されている政令案ベースで自社の対応準備を進めることです。なぜなら、本政令案はAIシステムの分類体系、通知義務、事故対応手続きといった社内体制構築に時間を要する対応上のポイントを多数含むためです。
AIシステムの3段階リスク分類

本政令案は、AIシステムを「高リスク」「中リスク」「低リスク」の3レベルに分類します。
高・中・低の判定基準
| 区分 | 判定基準 |
|---|---|
| 高リスク | 首相が発行する高リスクAIシステムリストに掲載されているシステム |
| 中リスク | 高リスクに該当しないシステムのうち、以下のいずれかに該当するもの① AIシステムであることを明示せずに、会話・音声・画像・仮想アシスタントを通じて人間と直接やり取りする② 出来事・人物・情報源の信憑性について誤解を招く可能性のあるコンテンツを作成・編集する③ ディープシンセシス技術を使用して、実在の人物の外見・声をシミュレート・模倣する |
| 低リスク | 高リスク・中リスクのいずれにも該当しないシステム |
供給者による自己分類の責任
AIシステムの供給者は、市場流通前または使用に供する前に、当該システムを独自に分類する責任を負い、分類結果の正確性および真実性について法的責任を負います。
政令案で義務化される4つの実務ポイント

① 【供給者】市場流通前の分類結果通知(AIワンストップ電子ポータル)
中リスク・高リスクのAIシステムの供給者は、市場流通前または使用開始前に、科学技術省にその分類結果を通知する義務を負います。通知は、所定の電子的な方法と様式を用いて、AIワンストップ電子ポータルを通じて行います。
通知で足り、承認等は要さず、事後監査および情報管理の基礎となるものです。通知内容には、少なくとも以下の項目を含める必要があります。
- 供給者識別情報(名称・事業登録番号・納税者番号・登録住所・連絡先)
- システム識別情報(システム名・バージョン・主要機能の説明)
- 使用目的・展開地域・想定される影響規模
- リスクレベルの自己分類および分類基準
- 主要なリスク管理措置および人的監視・介入メカニズムの概要
AIワンストップ電子ポータルは、有効な通知を受領した後、AIシステムの識別子を含む電子確認書を自動的に送信し、その情報は国家AIシステムデータベースに更新されます。情報の開示は、国家機密・企業秘密・個人データの保護に関する規制を遵守して行われます。
② 【供給者・実装者】変更やリスクが発生した場合の再分類トリガー
供給者および実装者は、以下のいずれかに該当する場合、リスク分類の見直し・再分類を行う責任を負います。
- 首相が発行する高リスクAIシステムリストに変更・更新があった場合
- 機能・使用目的・展開規模・使用状況に重大な変更があった場合
- 重大な事故が発生し、または新たなリスクが生じ実際のリスクレベルが分類レベルよりも高いことが判明した場合
- 所轄当局から書面による要請があった場合
- 実装者が、システムの意図する用途を当初の発表から修正・統合・変更し、より高いリスクが発生した場合
見直しの結果、リスクレベルを引き上げる必要があると判断された場合、供給者および実装者は、リスク管理措置を速やかに適用し、記録および通知を更新する義務を負います。
③【供給者・実装者】AI生成コンテンツのラベル表示
本政令案は、AIシステム供給者および実装者に対し、AI生成コンテンツへのラベル表示義務を規定しました。
音声・画像・動画などのコンテンツがAIを用いて作成・編集された場合、コンテンツ 利用者が識別できるようラベル表示しなければなりません。ただし、下記のいずれかに該当する場合は、ラベル表示は免除されます。
- (技術的編集)ノイズ除去、シャープネス調整、ホワイトバランス調整、解像度向上、手振れ補正、音声・画像・動画の調整。ただし、コンテンツの本質や主要なコンテキストを変更しないもの。
- (軽微な欠陥の除去)赤目補正、識別能力に影響を与えない範囲での美肌補正、背景の小さなオブジェクトの削除、ノイズキャンセリング。
- (テキスト支援)綴りや文法の修正、要約、翻訳、言い換え。ただし、基本的内容を歪めないもの。
- (芸術的創造および架空の背景)映画作品、芸術、ゲーム、娯楽コンテンツであって、公表時の状況から受信者がその架空の性質を明確に理解できるもの。
- (企業内人工知能システム)企業間(B2B)または企業と従業員間(B2E)で内部的に使用されるAIツール。公衆に直接コンテンツを提供するものではないもの。
- (管理された環境での試験・研究)公衆に普及・公開されないコンテンツ。
- (30秒未満の短尺音声コンテンツ)インタラクティブなインターフェースで使用され、セッション開始時に音声による通知が既になされているもの。
ラベル表示の実施方法については、本政令案では単一の形式を義務付けておらず、組織・個人がコンテンツの種類・利用状況に応じて最適な方法を選択できます。
④ 【供給者・実装者】重大事故の発生時の報告・対応(48時間/72時間ルール)
本政令案における「重大な事故」とは、AIシステムの運用において発生し、以下のいずれかの結果を引き起こす、または引き起こす可能性のある事故を指します。
- 人命の損失または重大な健康被害
- 組織の運営に重大な影響を及ぼす重大な物的損害
- 人権・プライバシー権、その他の正当な権利・利益の重大な侵害
- 公共サービス・必要不可欠なサービスの提供の重大な中断、または国家安全保障・公共秩序・社会安全への影響
AIシステムに重大な事故が発生した場合、供給者および実装者は以下を行う責任を負います。
- 事故の影響を防止・軽減・是正するために必要な技術的措置を直ちに講じる
- 事故に関連するログ・データ・情報を、検証・評価・是正を容易にするために維持・保管する
- AI情報ポータルを通じて所轄国家機関に事故を報告する
重大事故の初動報告書の提出期限は以下の通りです。
| リスク分類 | 報告期限 | 報告手段 |
|---|---|---|
| 高リスクシステム | 事故確認時点から 48時間以内 | AI情報ポータル経由 |
| 中リスクシステム | 事故確認時点から 72時間以内 | AI情報ポータル経由 |
48時間/72時間という短いタイムラインに対応するためには、事前に報告書テンプレート・社内エスカレーションフロー・ログ取得体制が整備されていなければ実現困難です。
TMIコンサルティングからの示唆|進出企業が今、着手すべきこと

【供給者】
暫定的なリスク分類の実施です。 本政令案の判定基準(高リスク/中リスクの3要件/低リスク)に照らして、自社AIを仮分類しておくことで、政令公布後に必要となる届出準備のリードタイムを短縮できます。
【供給者・実装者共通】
第一に、AI台帳の作成です。 自社が供給または利用するAIシステムを一覧化し、用途・データソース・利用部門を明文化しておくことが、リスク分類・届出・事故対応の前提となります。海外親会社が開発したSaaS型AI、社内ツール、生成AI APIなど、ベトナム国内で「使用に供する」全てのAIシステムが棚卸の対象です。
第二に、事故対応プレイブックの整備です。 48時間・72時間という極めて短い予備報告期限に対応するためには、事故発生から国家機関への報告までの初動フロー・社内連絡経路・ログ保管体制・報告書テンプレートを事前に整えておく必要があります。
第三に、AI生成コンテンツのラベル表示ガイドラインの策定です。マーケティング、広報、社内文書作成などで生成AIを業務利用している企業は、ラベル表示の標準手順とともに、ラベル表示が免除される場合(文書が編集管理プロセスを経ており、人間の責任で作成されたことが証明できる場合)の運用フローについて、編集経過を客観的に検証可能な形で記録・保管できる仕組みを整えておくことが考えられます。
第四に、横断プロジェクト体制の構築です。 AI法対応は法務・IT・事業部門・マーケティング・広報にまたがる横断的な対応が求められます。初期段階から関係部門を巻き込んだ社内プロジェクト体制を組むことが、結果的に対応コストを最小化します。
ベトナムAI法 政令案に関する質問

Q1. 既に運用中のAIシステムも規制対象になりますか?
A. はい、ベトナム市場で使用に供されているAIシステムは原則として規制対象となります。届出義務の対象となる中リスク・高リスクのAIシステムについては、供給者は速やかに自己分類を行い、市場流通前または使用に供する前に通知する必要があります。なお、本政令案は、機能・使用目的・展開規模・使用状況に重大な変更があった場合、今後制定される首相決定で定められる高リスクリストが更新された場合、または所轄当局から書面要請があった場合などを再分類のトリガーとして規定しており、運用後も継続的な分類見直しが求められます。
Q2. 【実装者】海外親会社が開発したAIシステムをベトナム法人で使用する場合も対象ですか?
A. ベトナム国内で「使用に供する」AIシステムは、供給形態にかかわらず政令案の規制対象となります。海外開発のSaaS型AI、社内ツール、生成AI APIなども含まれます。なお、リスク分類の自己分類および分類結果の正確性に関する法的責任は供給者が負う構造となっているため、実装者としては、自社AIシステム台帳の作成・更新時に当該AIシステムのリスク分類および届出状況を確認しておくことが推奨されます。
Q3. 【供給者】「自己分類で低リスクだと判断した」場合でも通知は必要ですか?
A. 本政令案では、市場流通前の分類結果通知は中リスク・高リスクのAIシステムが対象とされています。低リスクのAIシステムは届出義務の対象外と解されますが、自己分類の正確性については供給者が法的責任を負うため、分類の客観的な根拠を文書やデータ等の証拠資料として確保しておくことが望ましいといえます。
Q4. 【実装者】生成AIで作成したマーケティング素材は、すべてラベル表示が必要ですか?
A. 本政令案は音声・画像・動画にラベル表示を義務付ける一方、文書が編集管理プロセスを経ており人間の責任で作成されたことを証明できる場合はラベル表示を免除しています。実務上は、編集管理プロセスを定めた社内手順(SOP)を整備するとともに、各素材について編集履歴を記録・保管しておく運用が求められます。
まとめ|政令公布前から始める進出企業のAIガバナンス
ベトナムAI法と本政令案は、リスクベースの規制枠組みであり、48時間/72時間の事故報告ルールやAIワンストップ電子ポータルでの届出義務など、実務担当者にとって無視できない基準や義務を含んでいます。
政令の正式公布を待ってから動き出すのではなく、現時点で公表されている政令案をベースに、AI台帳の整備・自社AIの暫定リスク分類・事故対応プレイブック・ラベル表示ガイドラインの整備を先行させることが、施行後のコンプライアンスを円滑に運用する鍵です。
